アカウンタビリティー
- アニータ
- Aug 7, 2016
- 4 min read

自分の生活にアカウンタビリティーを持つこと(自分の言動が賢いかどうか、日々確認し、成長を目指すこと)はとても大切です。自分が信じていると言っていることを生活で実践することは、私たちが成長し続けるために必要不可欠です。自分の行動、言動、決断を吟味して生きる時、私たちは他の人の生活にアカウンタビリティー(その人の言動が賢いかどうか、定期的に確認し、励ますこと)を与えるために整えられています。自分の思いや態度を吟味することを怠ってしまうなら、他の人の成長や失敗について助言するべきではありません。
自分の生活を吟味する姿勢を取る時、私たちは人の助言に聞き従うこと、また人からの戒めに耳を傾ける心のあることを示します。人を教える者は、自分自身が助言に聞き従う者でなければなりません。自分がこのように生きているなら、人々にも、神に与えられた命を大切にし、神を崇めながら生きるよう、勧めることができるようになります。
聖書は、私たち女性が正しい信仰を持ち、自制して、慎み深い生活を送るように勧めています(テトス2:2-5)。自分自身がこのような生活を送ることを学ぶ時、他の人にも、同じように生きる励ましや助言を与えることができるようになります。
しかし、アカウンタビリティーとは、自分の言動全てを他の人に打ち明けなければならない、ということではありません(もちろん、神には全て打ち明けなければなりませんが)。真のアカウンタビリティーとは、自分自身の言動をしっかりと吟味し、第一にそれが神に喜ばれるものであるか、第二に、隣人を愛する言動であるのか、と考えることです。
自分の言動にアカウンタビリティーを持つには、思いを吟味し、み言葉の真理から、自分の動機について探らなければなりません。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)
あなたの人生でもアカウンタビリティーを持つため、次の質問について考えてください。
あなたが選ぶ言動一つ一つの動機は、何でしょうか。
あなたの好きな人、場所や物について考えてください。あなたはなぜ、これらが他よりも大切で、それに時間やエネルギーを割きたい、と思うのでしょうか。
何かが間違っていると感じる時、どのように対応しますか。
アカウンタビリティーを持ってくれている人が勘違いし、あなたは間違っているし、行動を改めなければならない(あなたは罪を犯したのだ)と指摘してきたとします。しかし、時が経つと、彼女が間違っていたことが明らかになります。あなたはどのように対応しますか。
誰かに、アカウンタビリティーを持ってもらっても良いと思いますか。
人から助言を受ける時、素直に受け止めることができますか。
アカウンタビリティーを持ってもらえる人がいますか。
あなたの「思い」について考えるにあたり、次の聖書箇所を上記の質問の答えと照らし合わせてください。
ピリピ4:8、9「最後に、兄弟たち。すべての真実なこと、すべての誉れあること、すべての正しいこと、すべての清いこと、すべての愛すべきこと、すべての評判の良いこと、そのほか徳と言われること、称賛に値することがあるならば、そのようなことに心を留めなさい。あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます」
質問の答えは、あなたの神との関係について何を教えてくれますか。
私たちは皆、自分のことを神の前に申し開きをすることになります(ローマ14:12)
もし彼があなたに対して損害をかけたか、負債を負っているのでしたら、その請求は私にしてください(ピレモン1:18)
私たちは、さまざまの思弁と、神の知識に逆らって立つあらゆる高ぶりを打ち砕き、すべてのはかりごとをとりこにしてキリストに服従させます(IIコリント10:5)
Comments