大切なものが無くなった時
- アニータ
- Jul 28, 2016
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大切なものが無くなった時

大切なものが無くなった時、自分について、特に自分が何を大切にしているのかについて知る良い機会です。何を欲し、大切にしているのかが明らかになります。
時には、自分の忍耐に騙されることもあるでしょう。最初は、何かを失ったことについて、うまく順応しているように見えます。語るべき言葉を語り、取るべき行動をとり、日々、問題なく生活しているように見えます。周りからも、彼女はたいへんよくやっていると評価されます。そんなある日、あなたは無くした人や物が永久に帰らぬのだ、と気づきます。その時から、普通に生活しているのが辛くなります。心にぽっかりと空いた穴を埋めてくれる新しいものも見当たりません。私たちの本心が現れます。自分はこのような者である、と思っていた自己やアイデンティティーが崩れます。
このような経験を通ったことがありますか。その時、何を失くされましたか。
大切なものが取られた時、どのように感じましたか。
普段は忍耐強いのに、失落、落胆、怒りや苦い思いに苛まれるようになりましたか。
失望されましたか。
諦めてしまわれたでしょうか。
こんな時、どうしたら良いでしょうか。自分について気づかされたことについて、どのように整理をつけたら良いでしょうか。心に空いた穴を、どのように埋めたら良いでしょうか。誰のもとへ、またどこへ行ったら良いでしょうか。
まずは、自分の持つ否定的な思いや感情を認めましょう。そして、自分の思いにおいて、ある戦いが起こっていることを認識しましょう。これまで持っていた忍耐と、私たちを飲み込んでしまいそうなイライラや怒りとの戦いです。良くない気分が少しずつ、私たちの感情をコントロールしようと争いを挑み、言動をも影響しようとします。非常に危険な状態です。
み言葉は、このような現状について説明しています。
「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです」(ヤコブ4:1—3)
私たちの心について考える時、このみ言葉を適用してみましょう。自分の中に戦いや争いがあるのはなぜでしょうか。私たちが手に入れたい、と思っているものを手にいれることができずにいるからです。今すぐ、何かを手に入れたい、または取り戻したい、と感じるのです。
つまり、自分の思い通りにことが運ぶことを願います。
新しく置かれた状況について考える時、失くしたものは二度と戻ってこないことが分かるかもしれません。このような時、どのように喜びと意義を取り戻すことができるでしょう。自己吟味する時、答えが見つかるかもしれません。私たちは誰、また何のために生きているでしょうか。自分のために生きているとすれば、いつも心に争いがあるでしょう。何かを失くしたことが、自分のアイデンティティーとなるのです。
もし自分ではなく、神のために生きることを選ぶ時。また、何かを失くした時やその後も、神に栄光を捧げることを求める時、何かを失くした経験が神に尊厳を表す時となります。私たちには分からなくても、神は働いておられ、目的を持って動いでおられることを信じ、神のために生き、神に仕えるようになるのです。
「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです…」(使徒17:28)
どうしたらこのように生きれるのでしょうか。
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